恋を失う瞬間をハッキリ覚えているということはない

 

 

きっかけになる出来事があることはあれど、100の恋が一気に0になることはきっとない

少しずつ少しずつ磨耗していって、気付けば取り返しのつかないところまで来ている 恋を失うとき、意図は、意思は、もうそこにはきっとない

まだ好きでいたいのに、嫌いになったわけじゃないのに、しがみつくだけの気力も体力も無くなっていると気付いて、すごく悲しくなるときがある 

今までの、貴方を好きで好きでそれだけで幸せだった記憶を反芻して、まだ好きでいたいと言う私と、けれどもうそうはいられないと悟った私が、二人とも泣いている

男女の恋愛に限った話というわけではなくて、人生ってこういうことの繰り返しなんだって、23歳になって少しずつ分かってきたの 白と黒で決められることなんて世の中にはそう多くないんだね 人間だものね

時の流れがどれだけ偉大か、ということを年齢を重ねる度に思い知らされる それは良い意味でも悪い意味でもあるけど 昔あった死ぬほど悲しいことだって、もう今はあの頃のようには悲しめない 嬉しかったことも苦しかったことも、全部同じ その事実を受け入れることが昔は難しかった 今はもう、それが決して悪いことではないと分かるけど

 

感覚的な話ではあるけれど、大人になるにつれて器の形や大きさを変えるのが上手になったような感じ 自分の感情が溢れないように、壊れてしまわないように、受け止める器のほうを変えるのが本当に得意になった その器の形を変える作業に疑問を持ったり、辛いと思い始めたら人間はもうだめなんだよな 器に見合わない量の感情を減らすために、どんどん好きでいることを諦めて行くんだ

 

 

恋や愛の話はむずかしい 100人いれば100通りの考えがあると思う 人と人がお互いに対して愛を持って一緒にいるということは、決して当たり前ではないのだということ 分かっているのに時々ハッとするときがあるよ